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AA1:いま最も興味のあるサブジェクトは何ですか?
MY:どうやって社会が個々の人間の形成に影響するか、っていうこと。私たちの「認識」は、取り囲まれている社会によって変化するもので、社会の状況によって「見ている」ものが変わってくると思うんです。面白いのは、ブルガリア出身のご近所さんがソロ・ショウに来てくれた時、「Three
Girls」を見て、「バックグラウンドは森だね」って言ったんです。本当は新大阪駅なんですけど(笑)。「ここに湖があって、ここに山が見えるよ」って。彼なりのイメージができあがってるんですよねえ(笑)。
AA1:いいなあ、ブルガリア。ところで、人は自分が映し出す世界とは違うものを見ている、ということに気づいたのはいつ頃ですか?
MY:ずいぶん昔なんですけど、本を読んだんです。外国の本だったかな? ある島に、外国の大きい船がやって来て、乗船していた外国人がボートで浅瀬まで漕ぎ出してきた。島の人々は日記に「ひと(外国人)が来た」とは書いたけれども、どこにも「船が来た」とは記録しなかった、というような内容でした。つまり島の人は、そんな大きな船なんて見たこともなかったから船が“見えなかった”、つまり知らなかった=表現できなかったから“見えない”ことにしてしまったんですね。この話にはすごく関心したんです。これがきっかけですね。あとはアジア哲学、禅や仏教も全て影響してます。
AA1:社会や環境がどう個人の形成に影響するかというコンセプトのもと、今後は具体的にどんな作品をつくっていこうと考えてますか?
MY:日本人の、他のアジアの人たちに対する差別(意識)について掘り下げていきたいです。戦争とか全然関係ないジェネレーションの若い人でさえも、何でそういうことするのか、その原因は何なんだろうな、っていう。こういう問題に関心があるのも、小さい時に部落解放運動コミュニティの近くに住んでたからなんです。大人がどういう風に(差別)発言するかとか、逆差別があったりとか、そういうのを子供ながらにずっと見てたんですね。でも、(差別する人と差別される人の)外見は全く変わらないわけじゃないですか。
私のものの考え方として、「本当の始まりは何?」というのがまずあるんですよ。人間が何かの行動を起こすに至った、またはあるタイプの思考を持つに至った、そのもともとの「社会的外因」は何なのかということに深い興味があるんです。
畳を使ったインスタレーション作品があるんですが、第2次大戦中にアメリカ人フォトグラファーが撮った満州の写真を使いました。日本軍が中国人を虐殺する写真を貼ったら、「日本人でこういうの作る人、あんまりいないよね」っていう反応がありましたけど(笑)。これは、同じ人間が、どういう社会の状況で、どういう行動をとっていくのか、自分なりに色々調べてつくっていったんですね。鎖国後、新日本政府が視察団をヨーロッパに送り、そこで西洋のパワーを見せつけられ、自分達もこうなるぞ、となった。日本のインペリアリズム(帝国主義)、ひいては日本人のアジア差別はそこから始まってるんじゃないかと。それ以前は、美術にしても何にしても、日本の知識人は中国に留学したりして、学問や芸術を吸収してましたよね。「それがどっからどういう風に日本って変わっちゃったの?」と問いかけたかったんです。
AA1:Cal Artsに入ったきっかけは?
MY:学校行くなんて考えたこともなかったんですよ。
コミュニティ・カレッジのMentor Programの後、みんな普通は4年制の大学に転入していくんですけど、私はお金もないし、家族に(アートを続ける事を)反対されてるしで、絶対無理だと思ってました。ところがある日、Programの講師に大学はどこを受けるのか聞かれ、「お金がない」と答えると、それでも「applyしなさい(受けなさい)」と。こっちは、「はあ? 入学手続きだけで4〜50ドルもかかるのに、そんなもったいないこと!!」って感じで(笑)。すごいのはその先生、「(大学側に)お金がない、って言いなさい」って言うんですよ。もう狐につままれたみたいになりましたね。日本的にはありえない感覚ですよ。一体この人、何考えてんだ?! みたいな(笑)。
まあ、どっちみち自分は行けないけど、大学がポートフォリオを見てどう思うか知りたいなあ、ぐらいの気持ちでapplyしたら、受かったんです。でも本当にお金はない。いつか家族が賛成してくれ、学校に行けたらいいなあと思いつつ、大学側に「入学1年延ばしてくれない?」という内容の手紙を書きました。ところが授業が始まる頃になっても音沙汰ないので、「あたしはもう学歴ナシでいく」と開き直り、気持ちの整理もすっきりついた頃に、学校側から連絡があって。「学校には行きません」とはっきり伝えようと出向いたら、学校側が「パートタイムでなら来られる?」とか「スカラシップ出すよ」とか、色々真剣にオファーしてくる。そこで私はすごいこと言っちゃったんです。Cal
Artsはネームバリューのある学校なんですけど、「学校の名前なんか信用してない。本当に私がbetter artistsになるのに、ここに来る事が必要なのか?」と体面切った。
AA1:よく言った!
MY:はい(笑)。もともと学校、大っ嫌いですから。にもかかわらず、驚いたことに学校側は、「来た方がいい、絶対プラスになるよ。ハーフタイムでとりあえず来てみたら?」と言ってくれました。そこで考えたましたねえ。う〜ん…、パートタイムなら1学期だけでもトライしてみてもいいかも…。でも家族に聞いてみないと分からない。そこで夫に聞いたら、「学校が来てほしいと言ってくれてるなら、行った方がいい」と。
AA1:それってやっぱり、MICHIKOさん自身が手に入れた結果ですよね。自分で動いたから。やっぱり、脳がフル活動した40歳の時に、いろいろ決まったんじゃないですかね?
MY:あれはねえ、すごい現象で。「enlightenment
(悟り)」ってあるじゃないですか。あれって私、体験したんじゃないかしらと思うんですよ。ふふふ(笑)。
AA1:実際に学校に行ってみて、どうでした?
MY:日本では高卒だって劣等感があったのも確かで、学校に行ってみれたことはプラスです。「なんだ、大学に行くってこういうことなんだ」って分かったし(笑)。
AA1:まあ、日本の大学とはだいぶ違うとは思いますけれども。課題とか大変じゃないですか?
MY:あのね、課題とか、「これ作って」っていうのがないんですよ。すごく自由。だから遊んでる人もいっぱいいますけど。とことんやる人はやる。1年次からスタジオがもらえるし、製作環境はすごくいいですね。先生(アーティスト)とも自分からアポとって30〜45分のミーティングできるんです。あと、グレーディング(成績)がABCじゃないんですよね。Low
Pass、Pass、High Passという3段階。
AA1:それ、とてもいいですね。「たいへんよくできました」みたいなもんですか。
MY:そんな感じ。BFAとMFAの生徒が同じクラスにいられるのもいいですね。つまり、同じカリキュラムで勉強できるようになってるんです。でもね、こういうことがありました。学校に入って最初のセメスター(学期)で、MFAの生徒に混じって合同クリティークを受けたんです。当時は英語に追いつくだけで必死で、作品もどういう方向に向かってるかまだ決まっていない、チャレンジしてる頃だったのに、みんな入ったばっかりの人間、しかもBFAの1年生に手厳しい。批評の集中砲火。でも手厳しい意見を言った人の作品を見ると、「なあ〜んだ〜」みたいな(笑)。
AA1:ありがち(笑)!
MY:面白いところですよ、Cal
Artsは。結局、自分次第だと思うんですよね。どこに行っても自分が何を学ぶか学べるか、というところにかかっているんだと思います。
AA1:アメリカのアート界には、「学校ブランド」重視みたいな部分がありますけど、そういう点って意識しますか?
MY:しますね。というか、アメリカがこれほど学歴重視とは、驚きした。Cal
ArtsのMFAは、ハーバードのロースクールに入るぐらい難しいって言われてるんです。18歳や20代の若いコは、“Cal
Artsでアートやってる=クール”みたいな意識があるんじゃないかな。
AA1:生徒の作品の傾向は、どんな感じですか?
MY:いま何が旬か、というトレンドを押さえてる感じで、理論的なセオリー・ベースに作りました、みたいなものが多いですね。
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